良い賃貸物件選びの近道ブログ:2018-09-19
結婚して数年経って、
平穏な毎日を送っている今も、
わたくしにはしばしば眺めている数枚の写真があります。
それは
お母さんと幼いわたくしが写った数枚の記念写真。
小樽の街角で、青い染め抜きの花模様の着物を着て、
微笑むお母さんのそばでにっこりしているおかっぱ頭のわたくし。
どこまでも広がる黄色い菜の花畑で、
花に顔をうずめている小さなわたくしと、
それを見守るお母さんの優しい笑顔。
長い一本の道を、
手をつないで歩いていくお母さんとわたくしの後姿…
子供の頃の思い出の横にはいつもお母さんがいて、
わたくしはこんなにもお母さんに見守られて、
育まれてきたのだという実感が、いつも心を暖かくしてくれます。
でも子育てをしてみて
わたくしは初めて気がついたことがあります。
それは、
お母さんとの思い出の数々を今日の日まで残してくれたのは、
そのフレームの中にはいない親父だったということ。
不思議なくらい、今の今まで気がつかなかった…
子供が生まれて、
わたくしがカメラを持つようになり、
アルバムを作ってみれば…
そこには、
子供を抱く夫、
子供をお風呂に入れる夫、
子供を子供寝かしつける夫…
わたくしとの写真なんてまるでなくて、
これじゃ将来うちのむすめはわたくしが育児放棄をしたと思うかなぁ…なんて
苦笑いしています。
写真という記憶の不思議。
フレームに存在しないという、存在感。
「気づくのが遅くなっちゃいましたね。お父さん」
でも間に合って、よかった。
今までずっと、ありがとう…
控えめな親父の深い真心に、
わたくしは心から感謝しています。
親父のおかげで、
わたくしもお母さんも幸せな思い出をいつまでも
抱き続けることができるんですね。