良い賃貸物件選びの近道ブログ:2022-04-25
妻が子どもの長い休みを嫌う理由の一つは、
1日三度の食事の用意です。
食事の時間前になると、
子どもたちは「今日はなに?」と
妻に献立を尋ねています。
フクロの味ではなく、
おフクロの味にこだわっている妻にしてみれば、
自業自得なのですが、
口で言う割には楽しんでいるように見えます。
外ではお昼になると
「今日は何を食べようか」と迷いますが、
それは主にオカズの選択です。
美味しいのはオカズであり、
ごはんは味もそっけもありません。
ですからオカズが関心事になります。
ところで
オカズは日々同じものだと必ず飽きてきますよね。
どうしても日替わりが必要になります。
それが母親の重荷になるわけです。
美味しさには飽きがくるという宿命がありますが、
それを回避するために別の美味しさを求めるようになります。
甘いものの次は、辛いものといった食べ方です。
残り味を別の味で打ち消していこうとすると、
やがて味はだんだんに濃くなっていきます。
主食であるごはんには味がありません。
だから、決して飽きずに日々食べられるのです。
オカズを食べたら次にごはんを食べる…
ごはんで味覚をぬぐうようにすれば、
次に食べるオカズが薄味であっても
十分に美味しく感じられます。
ごはんは味のご破算をしてくれる役割を担っているんですね。
味がない状態に常に戻ることが、味覚を洗練するコツです。
食事に限らず、
日頃から面白いことばかり追い求めていると
気づかないうちに過激になっていき、
洗練された感性からはぐれていって、終いには中毒状態に…
感受性を磨くには
感じない状態を保つ努力が必要だと思います。